Travel of Total Solar Eclipse in Thailand
タイ皆既日食ツアー備忘録
1995.10.22-26 (www version)


 
まえがき
 1995年10月にインド〜タイを通る皆既日食があり、誠報社の企画で東急観光の 渋谷支店が主催するタイの皆既日食ツアーが企画された。今回は埼玉大学天文同 好会OBの同期の有志でこのツアーに参加した。本編はその記録である。なお文 章中にはいくつか固有名詞が出てくる場面があるが、本人の了解を取っていない ため、www公開版ではすべて略号(アルファベット2文字)で示した。

第1日目(10月22日)
 1995年の10月22日。いよいよ今回のツアーの出発である。集合は14時であるが、 わざわざこの時間に合わせていつまでも家にいるのもつまらないので、早く到着 することが分かっていたが、10時少し過ぎに実家を出た。成田についたのは、予 想通り13時ちょっと前。荷物一次預かりにトランクを預け、軽く昼食を食べる。 そんなに長い旅行ではないが、日本の味をチョイス。する事がないので、サーク ル同期のKzに電話する。「あっKz?いま成田」... とりとめの無い話をしている うちに集合の30分前になる。「あとで、またみんなにあったら、電話するね。」 というわけで、一旦電話を切って、集合場所の方に向かうと前方に、見慣れた顔 がいる。今回のツアーに参加する我々のグループが勢ぞろいした。参加者はYh氏 Do氏とその奥さん(以後Do夫人)、そして私(以後Sh)。当初はもっと沢山申し込ん でいたが、みんな都合が悪くなったりして、結局4人だけとなってしまった。荷 物を一次預かりから引き出し、Kzにみんな揃ったことを連絡。YhがKzに「今来れ ば間に合うぞ」という。Yhのトランクには、機内持ち込み用荷物の分だけ、空き がある。そして我々は、ツアー参加者の集合場所に向かった。
 集合場所は全日空のカウンターの前であるが、その前に機内に預ける方の荷物 のセキュリティーチェック(X線検査)がある。まずDo夫妻のトランク。ここで、 ひっかかる。係員がDoのトランクのX線映像を指さして、「これは何ですか?」 「えっと... あっミネラルウォーターです。」「ちょっと開けて見せて下さい」 というわけで、X線検査が一次ストップ。係員は2人いるが、もう一人も別の人 の荷物の検査をしている。しばらくかかって、ようやくミネラルウォーターを取 り出すDo。うしろで、YhとShが失笑している。YhとShの荷物は特にチェックされ ることもなく、無事X線を通過。見ているとどの荷物にも三脚やらなんやらが映っ ている。集合場所で機内預けの荷物をおいて、別の建物にある部屋につれて行 かれる。今回のツアーの参加者はCコースだけで 120人。これを約30人づつの4 つの班に分ける。我々はC−1となった。添乗員の紹介や航空機のチケットの配 布、今後の予定等が説明される。C−1コースの添乗員はKjさんという若い女性。 ラッキー。Yhは初めての海外旅行でちょっと興奮気味。再集合は出国手続きを済 ませて搭乗ゲートのところということで、ひとまず解散。
 機内持ち込み荷物のX線検査や金属探知機を通り、出国手続きをしてゲートの 前に行く。ちょっと時間があるので、Kzに最後の連絡。ゲートのところで待って いると、横の歩く歩道をどこかで見たことのある顔が通過。「あれ?Fgじゃない ?」というわけで、あわててみんなで手を振る。気づいたか気づかないか分から ないが、Fgはそのまま行ってしまった。「やつはどこのツアーなのかな」「そう いえば、NzさんやNkさん(先輩方)はインドに行くっていってたよ」そうこうして いるうちに列が動き出す。改札を通って、飛行機に乗り込む。成田発バンコク行 き全日空のNH-915便、機種はB747-400型、いわゆるハイテクジャンボ (全日空で はテクノジャンボと呼ぶらしい) である。我々の座席は、Do夫妻が左の窓際の1 番後ろの席。YhとShはその3列前の席。タイと日本では2時間の時差がある。私 の時計はアナログとデジタルの2つの表示があるので、アナログの方だけ現地時 間に合わせた。こうすると1目で日本時間と現地時間が分かる。ゆっくりと飛行 機が動き出して滑走路に向かい、離陸した。
 台風が近づいており多少機が揺れる。それらしい雲も見える。ドリンクサービ スや機内食のあとで、映画の上映。今回は「ダイ・ハード3」。映画を見ている と突然アナウンス。「ただ今機内で急病人が出ました。お客様の中に、医者か看 護婦の方がおられましたらお知らせ下さい。」見ると反対側の窓際のあたりで、 何やらやっている。あとで、Yh氏から聞いた話では、どうやら、男の人が機内サ ービスの酒を飲み過ぎて、具合が悪くなったようだったとか。約6時間でバンコ ク到着。着陸ショックが小さく、比較的うまいランディング。ほぼ定刻通りタイ 時間の20時40分位であったか。入国審査をして荷物を受取る。現地案内の人の紹 介があり、挨拶もそこそこにバスに向かう。バスの前でなんかの花で作った首輪 をかけられ記念撮影される。ツアーの場合大体こういうことをされて、あとで出 来上がった写真を売りに来る。気温はやはり日本にくらべると暑い。しかもタイ は近年稀にみる大水だとかで、日本の夏程ではないが、多少蒸し暑さも感じる。 全員が揃って、バスが動きだしたのが、22時頃。日本と同じ左側通行だ。途中高 速道路を使い、一路バンコク市内へ。今日は日曜日で時間も遅いためか、バンコ ク名物の交通渋滞にも引っかからず、1時間弱で宿泊するマンダリンホテルにつ く。途中改めて、現地案内の方の紹介と、現地通貨への換金がある。換金は1万 円単位だったので、とりあえず1万円替えておいた。他の人も大体そんなもんで ある。タイの通貨はバーツで、1バーツは大体4円。今回の換金では1万円で、 2370バーツであったが、このうち 200バーツを東急観光の方で、先に集める。帰 りの際の空港使用料である。
 ホテルについて、ちょっと広い部屋に集まる。 120人も参加者がいるとちょっ とロビーの隅で説明という訳には行かない。鍵の受け渡しと明日の予定等の説明 会。YhとShが 254号室で、Do夫妻が向かいの 253号室。Do夫妻と明朝 6時30分に 部屋の前でおちあうことにして、部屋に入ったのは23時少し過ぎであったか。テ レビをつけると、食べ物か何かのCMでセーラー○ーンが使われていたりして、 Yhと2人で笑う。チャンネルを変えると日本シリーズをやっていた。シャワーを 浴びてくつろぐ。日本シリーズは24時まで放送されて、結局オリックスはヤクル トに2連敗となってしまった。時差の関係で例年より2時間長い1995年の私の誕 生日である旅の第1日目は過ぎて行った。

第2日目(10月23日)
 午前4時過ぎに目が覚めた。Shは1度目覚めるとなかなか2度寝が出来ない。 そのままいろいろ考え事をしたり、昨日の出来事をメモしていたりするうちにYh の持参した目覚ましがなる。身支度をしてDo夫妻と合流し朝食。朝食はバンケッ ト。Do夫人は取って来た目玉焼きの黄身が壊れてしまい、やや御機嫌ななめ。
 今日の午前中はバンコクの市内観光である。今日はタイの祝日で、名物の渋滞 はほとんど無いということを現地案内の方がいう。やたらセブイレブンが目につ く。メナム川の川岸にあるシェトランホテルというホテルの前に着く。ホテルの 壁には「ようこそ誠報社皆既日食ツアー」というようなことが英語で書かれてい た。誠報社のツアーの他にスカイウォッチャーのツアーも来ているようだ。ここ から40人乗りくらいの船に乗り換えて、水上観光となる。船は波しぶきをあげて 快走する。途中すれ違うボートには、車から取ってきたようなむき出しのエンジ ンに、シャフトとスクリュー直結したものを直接手で動かして船を操舵している。 しばらく行くと左手に塔が見えてきた。これが本日の最初の観光地の、「暁の寺 (ワットアルン)」である。
 入り口の建物の中では、お坊さんが何やらやっている。この建物を抜けると塔 がある。「暁の寺」は日本の江戸時代(詳細失念)に建てられ、塔の高さは72メー トルもある。塔の4辺に階段があり、塔の中腹まで観光客も登れる。しかしこの 階段が妙に急である。Do夫人が、「登るのはいいけど降りれるかな」と心配する のも無理はない。塔全体にタイルのような装飾がびっちりはめ込まれている。階 段を登り、外周に沿って1回りする。結構見晴らしがいいが、日差しも強いし気 温も高い。無事階段を降りて、ふたたび船に乗りバスに戻る。行きには気づかな かったが軍艦がドックにはいってたりする。
 再びバスに乗り、高速道路を使って、次なる観光地アユタヤに向かう。道路の 上からみると、結構お寺があちこちにある。高速道と平行して線路があり、列車 が走っている。Yhが写真を撮る。
 アユタヤの遺跡は日本の鎌倉時代のものであるということであったが、アユタ ヤ王朝が崩壊してそのまま放っておかれたせいか、もっと古い時代の遺跡のよう に感じられた。個人的には奈良時代くらいの印象である。ここにも塔の様な建物 があり、中に入れるが、中はそれほど広くはなく、仏像がいくつかおいてあった。 外周に沿って1周する。ここもなかなか見晴らしがいい。昼食はアユタヤ市内の ホテルでバンケット(飲物別料金)であった。やきそばがなかなか美味しく、今回 のツアーの中で最も美味しかったものの1つである。
 アユタヤ見物が終わると、今日の宿泊地、そして日食観測の拠点となるナコン サワンに向かう。この移動がすごかった。Cコースは4つの班に分かれていて4 台のバスに分乗する。で、この4台のバスを、なんとツーリストポリスのパトカ ーが先導するのであるが、アユタヤ市内の信号では赤色灯を炊いてサイレンを鳴 らし赤信号無視でつっきったかと思えば、アユタヤ市内を抜ければ、赤色燈とサ イレン攻撃で前行く車をどかせて、制限速度オーバーで爆走する。抜かれた車の 乗員が、何事かという目で我々のバスを見上げる。前の方で年輩の男性がビデオ カメラを構え、「えー我々はいま、パトカーの先導で一路、ナコンサワンに向か っています」などと実況中継をする。日本でも報じられていたように、タイは、 十数年ぶりの大水である。移動中もほとんど湖の上を走っているかのように、両 側が道路すれすれくらいまで水があふれているような箇所がいっぱいあった。そ んなところを1台のパトカーと4台のバスが爆走する。アユタヤ市内を抜けると ナコンサワン市内までは信号がなくノンストップである。その間同じ様な風景が えんえんと続く。湖の上を走っているかの様な水没地帯か、または大平原の様な 景色である。意外とガソリンスタンドが多い。所々に森のように木が生い茂って いる。植生はいわゆる南国の椰子などの木と、日本でも見られる広葉樹の木が妙 にマッチした感じである。竹の様な植物も見えた。日差しが強く、窓側に座った Yhが、「腕がやける」という。アユタヤを14時頃出発し、ナコンサワンには、16 時前に着いた。
 ホテルにチェックインしたが、トランクがまだ届いていない。パトカー先導で 爆走するうちに、先に出発した荷物を乗せたトラックを追い越してしまったとい う。少し広い部屋に集まって明日の予定やら部屋割りやらの説明がある。エアコ ンが壊れていて、天井から水が降ってくる。現地のテレビ局がきて、私の隣に座 った方になにやらインタビューなどしている。それとは別に、どうやら日本テレ ビの人も来ているらしい。部屋はYhとShが 404号室でDo夫妻は隣の 402号室。せ っかく早く着いたので、私は市内観光に出かけることにした。Yhを誘ったが、あ まり乗り気でないようなので、Do夫妻には声をかけずに1人で出かけようとした 矢先荷物が到着した。荷物を部屋にあげて、改めて16時30分ごろ市内観光に出か ける。ナコンサワンは山の上の方に結構おおきなお寺があり、市外からも大きな 仏像が安置されているのがはっきり見えるが、普段は(特に外国人の)観光客の来 るようなところではない。日本でみた旅行案内書にもほどんど紹介されていなか った。このため町を歩いていても、バンコクや、アユタヤのようなもの売りの人 がいなかった。今回の皆既日食で突然外国人が大勢おしかけて来て、さぞやびっ くりしていることだろう。しかし、町中かなり大水の被害があったようで、どこ を歩いていてもヘドロの臭いがする。中から水を掻き出している家もある。ぐる っと市内を回って、ホテルに戻りロビーで日食のTシャツを買って部屋に戻ろう としていると、ロビーでYhと会った。3人でお茶を飲んでいるという。すこしだ べってから、日食観測をするホテルの屋上に上がってみる。結構見晴らしがいい。 添乗員たちも上がってきた。Yhが、「Kjさん(添乗員)って、石川ひとみに似てな いか?」という。Do夫人は「私は、賀来千香子に似てると思った」という。ナコ ンサワンの夕景をながめてから夕食に行く。夕食もバンケットであった。ここで も飲物別料金で、野郎3人はビール、Do夫人はジュースを頼んだ。タイ料理はそ んなにまずくはなく、結構美味しいものもあり、DoとYhは結構食べられるようで あるが、私個人はどれも最初のうちはたべれれるが、あまり同じものをたくさん 食べるのはちょっと... という感じであった。ただ、トムヤンクンは最初の1口 から私には苦手であった。夕食に合わせて、明日の太陽の見え方や、写真撮影の ポイントなどの説明会が行なわれた。
 夕食の後、星が見えるかもということで、再び屋上に上がったが、あまり空気 がきれいでなく周囲も明るいため、ほとんど星は見れなかった。それでもフォー マルハウトが、かなり高い位置にあり、改めて低緯度地域に着たことを実感した。 部屋に入ってシャワーを浴びると、眠くなりさっさと寝る。Yhの話では夜中に結 構雨が降ったそうであるが私は何も知らなかった。

第3日目(10月24日)
 いよいよ今日は皆既日食。 5時30分頃に目が覚めた。ベランダに出て、空を見 上げると、ほぼ真上にオリオンが見える。そして南には長寿星(カノープス)がか なり高い位置に。ベランダから部屋に戻る時に窓枠につまづいてYhを起こしてし まった。しばらくすると日の出である。あの太陽のすぐそばに見えないけど月が ある。そして、もうすぐ皆既日食になると胸がドキドキする。朝食を食べて、観 測の準備をし屋上に上がる。屋上には気合いの入った方々の望遠鏡や双眼鏡の列。 SonyのGPS受信機で経度、緯度をはかっている人もいる。ジオイドの補正 をしているのかどうかわからないが、有効桁数は分の桁くらいまでと思われる。 昨日いたはずの日本テレビの人達はいない。どこか別の場所にいるのであろう。 ホテルの屋上は我々のツアーの貸しきりであったが、何人か個人の旅行者の方々 も上がってきた。ホテルの下のグランドではどこかの小学校の団体がバス数台で やって来てわいわいやっている。タイでは水曜日に生まれた人は、日食を見るの は不吉らしい。ちなみにShの日曜日の生まれである。我々は屋上入り口近くに銀 シート1枚を敷き、椅子を4脚確保する。DoとShは写真撮影の準備。Doは1眼レ フにレンズと3倍のテレコンをつけて 600ミリで、太陽をねらう。一方Shのレン ズは 210ミリであるが、コントラストと粒子の細かさをねらいフィルムはフジク ロームのベルビア50をチョイス。果たしてネガに比べて狭いラチチュードが、ど のような結果をもたらすのか楽しみな反面不安でもある。Yhは何かのパンフレッ トに穴を開けて、ピンホールの準備。試行錯誤の末、埼玉大学天文同好会のマー クを作る。いよいよ第1接触。昨日買った太陽グラスで太陽を見ていたYhが、「 あっ、欠けた!」という。この時点で空は快晴。日差しが強い。主催者の方が、 日射病に気をつけて下さいというようなことをいう。どんどん食分が大きくなる。 沖縄の時 (1987.9.23の金環日食)よりも食の進行が早いように感じられる。食分 が50%を越える頃から気温が下がりはじめる。添乗員の方々も、屋上に上がって きた。我々のすぐそばに陣取る。Kjさんを入れて我々5人で記念写真を取ったり、 ピンホールの映像を見せたりする。隣のグループもボール紙を持ってきてピンホ ールを開けている。我々はもっと何かいいものがないか探し回る。Doの着ている フィッシングジャケットが目に止まる。背中の辺りがメッシュになっている。ジ ャケットを脱いで、壁に映す。メッシュを通った太陽の光がみんな三日月形にな る。陰の輪郭がブレてきた。
 食分が90%を超えるといよいよ暗くなり、気温が下がる。我々もなんか緊張す る。添乗員も太陽グラスで太陽を見ている。どんどん食が進む。爆竹の音が聞こ える。いよいよだ。光球がどんどん小さくなる。YhがDo夫人にかKjさんにかわか らないが、「もうグラスを取って」と繰り返す。いよいよ最後、光球が小さくな りダイヤモンドリングとなり、そしてフッと消える。第2接触。皆既日食だ!ホ テルの下の道路から爆竹の音が響きわたり、車のクラクションが聞こえる。屋上 では拍手がわき起こる。思ったよりも周囲が明るい。太陽の周囲も想像していた よりずっと明るい。写真でみる皆既日食の写真は真っ黒な月の回りに白いコロナ が写っているが、本物は月の部分は真っ暗ではなく、やや青い空を暗くした色の ように見える。夢中でシャッターをきる。途中でレリーズの調子がおかしくなっ たが、そのままレリーズごとシャッターを押し込む。カメラの向きがずれていな いかファインダーを覗く。ファインダー越しに越しに見るとプロミネンスであろ うか、3箇所くらい所々赤く光っている。見渡すと地平線近くの周囲は夕焼けの 様な色になっている。やがて、コロナの一部、先ほどの第2接触と反対側の方が 明るくなる。「もう終わりだ!」その声を合図にして再びダイヤモンドリング。 第3接触だ。再び拍手がわきおこる。みんな笑っている。このツアーのいちばん の目的である皆既日食は無事大成功に終わった。皆既継続時間は 1分45秒という ことであったが、体感時間では30秒くらいに感じられた。それほど興奮していた のである。添乗員も喜んでいる。同じ主催・企画で前回行なわれたハワイのツア ーでは日食中に曇ってしまった苦い経験があったので、添乗員たちも別の意味で 我々以上にほっとしたことだと思う。皆既が終わると添乗員らは下に降りていっ た。我々ももう気が抜ける。Yhに「意外と明るいんだね」というと、「うん、今 回は明るかった。小笠原の時(1988.3.18の皆既日食)はもっと暗かったよ」という。 皆既継続時間が短い、すなわち皆既帯の幅が狭いことが要因かも知れない。「よ し!今度は皆既帯の幅が広い日食を見るぞ!」と心に誓う。DoのNDフィルターを かり、残りのベルビア50を全部撮りきる。食分が80%に回復する辺りで食事に向 かうため部屋に戻った。部屋はベッドメーキングもタオルの交換もされていなか ったが、枕チップだけはしっかりと無くなっていた。シャワーを浴びて12時頃食 事に向かった。
 食事が終わり、食堂のある建物からホテルのロビーに戻る。日射しは何事も無 かったのように強くさしている。ロビーのテレビでニュースをやっている。タイ 語はさっぱり分からないが、皆既日食のニュースをやっているのは分かる。14時 30分頃ナコンサワンを後にする。再びツーリストポリスの先導である。またまた 赤色灯あんどサイレン攻撃で、赤無視、そこどけ、挙げ句の果てに反対車線逆走 をする。日本の常識では考えられない。行きと反対側が見えるようにすわったた めか、窓の外の景色が昨日と若干印象が違うような気がする。牛飼いが牛を引き 連れていたりする。途中給油のためガソリンスタンド兼ドライブインによる。ツ ーリストポリスと一緒に写真を撮ってもらう。途中2箇所ほど橋が落ちていて1 車線になっていたところで渋滞していたのをのぞけば、ほとんどスムーズに走っ ていたが、さすがにバンコクの市街地に入った辺りから名物の渋滞に捕まり、空 港のあたりではなかなか動かなくなる。バスのエアコンが強く寒いため、観測の 際に銀シートを固定するために持ってきたYhのガムテープで、エアコンの吹き出 し口に蓋をする。途中宝石店でツアーお決まりの買い物時間をとり、夕食を食べ るレストランに向かう。
 夕食はタイ式中華ということであったが、ほとんどタイ料理と変わりはない。 このレストランは88年のギネスに、世界最大のレストランとして紹介されている という。池の反対側の方に舞台があり、なにかショーが行われているようである が、我々のところからはよく見えない。トイレにいったYhが、あっちの方に他の コースも来ることになっているみたいだけど、まだ着いて無いみたいという。ど うやらどこかのテーブルにBコースと書かれた紙が置いてあったようである。先 ほどからうろうろしていた猫がYhの足元でじゃれる。
 再びバスに乗りホテルに向かう。エアコンの吹き出し口に付けていたガムテー プははがされていた。泊まるのは初日と同じくマンダリンホテルであるが、部屋 は前回とは違った。ホテルに入り鍵をもらって部屋にはいる。シャワーをあびて 出てくると、バスの中で予約しておいたチョコレートが届いていた。テレビでは 皆既日食のニュースをやっている。日本シリーズ第3戦にチャンネルを合わせ、 ベッドに入り見ていたが、オリックスが4対2で勝っているところまで覚えている が、いつのまにか寝てしまった。

第4日目(10月25日)〜帰国まで
 第4日目、タイ滞在最終日。Do夫人は今朝は目玉焼きをとらない。「だってい つも、(黄身が)つぶれちゃうんだもん」我々は今日1日市内観光をするが、荷物 の方は、空港に直行して先にセキュリティーチェックをするということで、昨日 バスの中で買った土産のチョコレートなど全部トランクに詰め込む。荷物を預け、 チェックアウトをしてバスに乗る。バスの中でパスポートも先に集められたが、 これには多少抵抗があった。我々4人を含む多くの方は、午後オプショナルツア ーに参加しているが、そうでない人はパスポート無しで外国の町をうろつくこと になる。そういえばツアー出発前にも郵送でパスポート(またはそのコピー)を集 めれられたが、ここの旅行会社では毎回こうなのであろうか。
 今日の最初の目的地はエメラルド寺院と王宮である。王宮とエメラルド寺院は 隣り合っていて、メナム川のそばにある。王宮の前にくると水が出ていて、観光 客が膝の下まで水につかって歩いている。バスは王宮の回りを水没していないと ころまで半周走って、我々を降ろした。
 まずはエメラルド寺院。金の塔や、きらびやかな装飾の建物がある。この装飾 は今は、アサヒ硝子製のガラスがはめ込まれているが、昔は宝石だったという。 靴を脱いで寺院の中にはいる。ここは撮影禁止である。白人の女性が写真を撮っ てしまい、警備員にフィルムを没収される。ついで、エメラルド寺院に隣接した 王宮に行く。現在の王はここには住んでいないが、先代まではここに住んでいた らしく、現在も迎賓館などの設備は使われている。バスに戻り次の目的地、ロー ズガーデンをめざす。途中お店に寄ってショッピング。店を出たのが11時頃だっ たか。ローズガーデンはオプショナルツアーのため、申し込んでいない方とはこ こでいったん別れる。この時間になるとさすがにバンコクの名物、すごい渋滞で ある。大水の影響で使えない道路があるために、使える道路は特に渋滞に拍車が かかっているという。ローズガーデンに行く途中にも、数ヵ所冠水していてバス の腹の辺りまで、水につかりながら走る。ローズガーデンまで30〜40kmであるが、 到着した時には13時30分近くになっていた。
 ローズガーデンで食事をしていよいよ中にはいる。入り口のところに象が数匹 いて観光客を乗せて広場を1周してくれる。Do夫妻がその列にならぶ。YhとShは 広場の中ほどで待機。カメラを構える。Doいわく「なかなか快適だったよ。すご くゆったり歩いて」ガーデンの中の店でDo夫人がショッピング。我々も店を覗く。 甲虫やら蠍やらをガラス詰めにした置物が売られている。 14時40分から 何かの ショーがあるとのことであるが、ショーをやる小屋の入り口に列ができているの で、我々は、それとは別の、象のショーを見ることにした。時間になると、先ほ ど入り口のところで観光客をのせて広場を一周していた象がやってきて、ショー が始まる。まずはじめに象の足回りと高さをはかる。象の足回りの長さと高さは ほとんど同じサイズである。そのあとダンスや、地面に寝ている象使いの人たち の上をまたいで歩いたり、地面に落ちたコインや象使いが象をコントロールする のに使う道具を鼻を使って器用に拾い上げたり、丸太を一歩橋のようにして上を 歩いて行ったりする。観客席と象の間には池があるが、池の淵に腰掛けて見物し ていた人たちは「象の挨拶」で、服がびしょぬれになる。象のショーが終わり庭 園をぶらぶら歩いていたら、他の号車の現地案内の人が我々を見て、先ほど行列 のならんでいた小屋を指し、「ショーをみないの?」という。案内人にせかされ て小屋に入る。小屋の中は中央に広場があり、それを囲むように3方に客席があ り、正面には舞台がる。我々が小屋に入ると、中央の広場で、ちょうどムエタイ (タイ式キックボクシング)のショーをやっていた。そのあと、挌闘技やら踊りや らのショーがあり、見ていると集合時間になった。
 最終日の夕食は、ホテルのレストランでタイ式中華であったが、昨日のレスト ランよりも少しだけ我々にもなじみのある中華の味に近かった。我々のテーブル は11人用で、我々4人の他に小さい子供2人をつれた4人の家族と、我々と同年 代くらいの男2人組が座って待っていたら、Kjさんが来て食事の輪が明るくなる。 向いに座った4人家族の子供が、Kjさんにいろいろ問いかけて困らせる。「おね えちゃん、肉食動物で何が好き?」、「おねえちゃん、草食動物で何が好き?」 挙げ句の果てに、「おねえちゃん、何歳?」などと聞く。Kjさんが子供に耳打ち して教えると、子供は大きな声でそれをばらす。しばらくすると隣の方にBコー スの人たちが来て食事を始めた。我々はそれと入れ違いにレストランをあとにし た。
 食事が終わるといよいよ帰国である。空港で4日間我々のガイドをしてくれた 現地案内の人と別れ、出国手続きをする。出国審査のところにKjさんがいたので、 「石川ひとみに似てるって言われたことありませんか?」と問いかけると、「よ く言われる。いろんな人に似てるっていわれる。石川秀美とか早坂よしえとか...」 と答える。ぜひ今度、頭の上に火山や向日葵の花を乗せてあげたいものである。 免税店をのぞき、長袖シャツにきがえ飛行機に乗る。帰りの飛行機は全日空 NH- 916便で、機種は行きとおなじ B747-400であった。定刻より10分遅く22時25分バ ンコクをテイクオフ。機内ではやたら眠く、機内映画の「キャスパー」を見なが らいつしか寝ていた。気がついたら、機の右舷が明るく、日の出であった。日本 時間 6時ちょうどに成田にランディング。 Do夫妻はJRで横浜方面なので、 第2 ターミナルで別れる。「帰り元気があったら築地に寿司でも食いに行こう」など とYhと約束していたが、眠くてそれどころではなく、京成のモーニングライナー に乗ったがShは先に日暮里で降りた。

あとがき
 今回はちょっと特殊な旅行という事もあって、いわゆる団体ツアーに参加する という形であり、全部観光会社の方でオプションやら移動手段やらを手配してく れていたため、タイという距離的には近くても日本とは少し異なった文化に触れ る機会があったにもかかわらず、私としては少しカルチャーショックに欠けるよ うな気がした。得てして"決められた"ツアーだとこういうことが多いような気が する。しかしやはり皆既日食はすばらしく、こればかりは写真を見てもそのすば らしさの1%も分かってもらえないのではないかと思う。まだ見ていない方は、 多少無理をしてでも一見の価値のあるイベントであることを付け加えておきたい。

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